私たちの愛猫・モモが昨日、天国に行きました。
ホームページの写真にある子猫がモモです。
4年前の1月30日、治療を終えたネコを家まで届けるために、私は車を運転していました。
その途中、道端に白い小さな物体を発見しました。
最初はティシュか何かだと思いました。通り過ぎた後で、「あれは子猫では?」と。
その帰りに同じ道を通ったら、さっきとは少し離れたお店のシャッターにもたれかかっていた。
急遽、車を近くの空き地に止めて、その子猫を抱き上げた、「フー」と威嚇する。
車の中の箱に入れて、もういっぺん抱いてみた。
片足がプランプランだ。骨折。
家に連れ帰った。
翌日のレントゲン検査で左大腿骨骨折が判明。大きく折れていて断端が離れている。
手術は成功したのだが、なにせ子猫だ。じっとしていない。
ギブスをして、ちゃんと歩けるようになるまで入院していた。
本当は誰か里親を探すつもりだった。
しかし、一ヶ月も世話をしていたら情が移ってしまった。
妻は誰にもあげないと言い出した。
それから、私達の家で飼うことになった。
去勢手術の時に白血病検査で陽性が出た。
家には他にもネコが沢山いる、白血病に感染してれば、他の猫たちと接触はできない。
ストレスで発病することもある。
何回か屋外へ出たことがあるが、凄く疲れて帰ってくる。ストレスだろう。
それからは絶対に外へは出さないことにした。
一日中、お母さんのそばを離れない。掃除・洗濯・炊事と家の中を妻に付いてまわる。
私の部屋で昼寝するときも、絶対に私の布団ではなく、妻の布団の上で寝る。
ドアも一人で開けるようになった。私の部屋のドアノブだけは回転式でモモには開けられなかった。
ドアの外で「ニャー」と一声。ドアを開けてやると、すぐ入ってくる。
夏の暑い時期は床に寝そべっているが、冬は、必ず私の膝に登ってくる。
居間のテーブルでご飯を食べていると必ず膝に登ってくる。
そんな元気なモモが昨年の夏頃から元気がなくなってきた。
食欲もだんだんなくなってきて、インターフェロンを何度か注射した。
年末には再発した。なんとか騙し騙しきたが、1月の終り頃にはもうなにも受け付けなくなった。
腎不全を併発していて、口の中が痛くてかわいそうだった。
丁度、拾って4年目だ。何日間か点滴をしていた。
休みには神奈川にいる長男夫婦がモモに会いに来てくれた。
モモの名前をつけてくれた長女は何度かモモに会いに来た。
亡くなる前日は一日病院で点滴するモモに付き添ってくれた。
2月6日の未明に息絶えた。
その前の日は不思議なくらいに顔がふっくらして、お母さんの方を向いては「ニャー」とないた。
2月6日は未明から雪が降り始めた。
私達はモモの臨終に立ち会えていないが、次男が発見して知らせてくれた。
朝早く長男夫婦と長女にメールした。
出勤途中の長男がメールをくれた。「白いモモが亡くなった頃に白い雪が降り始めたね。」
そのメールを読みながら涙が溢れて止まらなかった。
電話で返事をくれた長女は泣いて声にならなかった。
今は、凄い喪失感でいっぱいだ。
何故、救えなかったのか・・・。モモの遺品を見る度に寂寥感に襲われる。
我が家には18才になる姉妹ネコもいる。4才じゃ早すぎる。
いつもの花屋さんでモモのお花を買いに行った。
花屋さんは「昨日まで三日間ほど閉めてたんだけど、先生うちに来たかい?」
年中無休の花屋さんがお店を閉めるなんて、しかも三日間も・・・。
この三日間は点滴だけでモモは頑張った。
モモは花屋さんが閉まってることを知っていたのだろうか?
偶然にしては・・・。
それと、ネコの白血病の発病はそのほとんどが、リンパ腫のために胸腔内に水が溜まる。
そのため、息が苦しくて呼吸困難で来院される。
完治することはないので、胸の水を抜くことで多少は楽になるが、また溜まる。
結局、呼吸困難で死亡する。
モモはこの呼吸困難がなかっただけでも救いだった。
モモも虹の橋のたもとで待っていてくれるだろうか?
いつまでも待っていないで、先に行って、鳥やバッタを追いかけて遊べばいいと思う。
家から出さないでいたので、どんなに外で遊びたかっただろう。
許しておくれ。モモ。
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